第1回 2020年5月20日
「みんなでアイディアを
出し合うところから始めよう」
2020年5月20日。新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う緊急事態宣言が発令され、外出自粛の日々が続いていた頃。とあるZoomでのリモートミーティングからそれは始まった。オンラインで集まったのは、音楽プロデューサー・亀田誠治と、いきものがかりの水野良樹、吉岡聖恵、山下穂尊の4人、そしてスタッフたちだ。
2020年4月から予定されていたいきものがかりの結成20周年の全国ツアーは全公演が中止になり、5月30日・31日に開催を予定していた亀田が実行委員長をつとめる「日比谷音楽祭2020」も開催中止となった。コロナ禍で社会全体が大きく変動する真っ最中で、彼らはどんなことを思っていたのか。
まずは近況報告と雑談から話は始まった――。
リモート飲み会、みんなやってるよね
亀田さっき、みんなの声が聞こえてんだけど、楽しそうだね!
吉岡そうですね。メンバーの近況もなかなか知れないんで。
亀田こまめに連絡とったりしないの?「最近どうよ?」とか。
水野週イチで打ち合わせはしているんですよ。だから、一応画面上では顔を合わせてるんですけど。でも、そんなに細かい話はしてないです。
吉岡リモート飲み会もしてないです。
亀田この中でリモート飲み会をしたことのある人、いる?
吉岡私、したことありますよ。リモート誕生会。でも、そんなにやんないです。
亀田リモート飲み会、みんなやってるよね。
水野流行ってますもんね。余計飲んじゃう人もいるみたいですよ。歯止めがきかなくて。
山下俺、モノをめちゃめちゃ捨てました。
亀田断捨離したんだ?
水野1トンくらい捨てたって言ってました。
山下CD、本、服、靴……。一番重たいのは雑誌ですね。手の油がなくなった。
時代のうねりの中で、大事なときにいつも一緒にいる
いきものがかりと亀田誠治は、デビューシングル「SAKURA」のカップリング「ホットミルク」のプロデュースを手掛けてからの長い関係。「風が吹いている」や「笑顔」など、これまでも沢山の楽曲を共に作ってきた。そんな思い出話から、話は徐々に本題へ――。
亀田今日はみんなと、ざっくばらんなところから、いろんなお話をしたいと思って。いきものがかりと俺って、今、何年生?
水野亀田さんと出会って15周年です。
亀田これまで、いきものがかりのみんなとずっとコンスタントに楽曲を作ってきたよね。たしか、国立競技場のクロージングイベント(2014年5月に開催された<SAYONARA 国立競技場 FINAL WEEK JAPAN NIGHT>)のときに「これからは君たちに任せた」みたいなことを言ったと思うんだけど。
水野はい。
亀田いろんなものが細分化していく中で、いきものがかりの持っている、日本全国津々浦々に届くやさしい音楽、みんなの人々の心を包める音楽というのが僕はすごく大事なものだと思っていて。そういう思いを持ちながらみんなと楽曲を作ってきたと思うんです。いろんな思い出があるよね。ロンドンオリンピックの時には「風が吹いている」を一緒に作ったし、「笑顔」のときもそうだし、突き詰めれば、ファーストシングルのカップリングの「ホットミルク」にさかのぼるわけで。それもこの部屋で作ったんだけど。懐かしいでしょう?
水野吉岡が鮎もなかを持ってきたんですよね。
亀田そうそう。「神奈川と言えばこれです」って言って。そんな出会いがあって、いきなりみんなと一緒に「せーの!」でレコーディングしたよね。「みんなで合奏しようよ」「山下くん、ハーモニカ吹こうよ」みたいに、全部一度にやっちゃって。みんなはもしかしたら丁寧に構築して作っていきたかったのかもしれなかったけど、あのときは軽音楽部のノリみたいな感じで。
山下すごかったですね。
吉岡すごかった。西川さんがギターを弾いたときに、椅子に座ってた亀田さんが「ワーッ! 格好いい!」って言ったのが、今でも忘れられない。その時は私たちは制作でディレクターに詰めてもらってたんで結構苦しかったんですけど、亀田さんのレコーディングは「え? こんな楽しくていいの?」って感じで。
水野レコーディングスタジオでは暗い顔してないといけない、くらいの空気だったんです。だから、こんな楽しい感じで進める現場があるんだって。それぐらいのカルチャーショックでした。
山下ほんとにそうですよ。作業に10時間くらいかかってた時代だったんで、こんなに早く終わるんだって。すごくいい現場って思ったな。
亀田そうだ、震災のときもレコーディングが止まったんだよね。
水野「笑ってたいんだ」のレコーディングのときですよね。震災の3日後ぐらいが締め切りだったんですよ。困難な状況で、みんな感情的になってて、それがすごくいい意味でポジティブになったレコーディングだったと思います。
亀田そうやって、今、コロナの情勢もそうなんだけれど、いきものがかりの3人と僕って、ここ10数年の時代のうねりの中で、大事なときにいつも一緒にいるような気がしてるんです。
今の時期でしかできない作品を
「フリーで誰もが参加できる、ボーダーレスな音楽祭」として日比谷音楽祭の第1回が開催されたのは、2019年6月1日・2日。実はその前年の2018年にも、結局実現には至らなかった“幻の第0回”があったという。日比谷音楽祭の構想が生まれた最初の時から、亀田はいきものがかりに声をかけていた。
亀田で、いきものがかりは“放牧”をしていたじゃないですか。
水野・吉岡・山下はい。
亀田“集牧”したのはいつだっけ?
水野2018年の終わりですね。約2年ぐらい休んでました。
亀田みんなが放牧して自分を見つめ直している間、僕は日比谷音楽祭という、自分がニューヨークで見てきたような、いろんなジャンルや世代や人種の人たちが交わって、いろんな音楽が平等で、見にくる人たちも誰もが参加できる、フリーでボーダレスな音楽祭を日本でやりたいなと思って。そのときに日比谷公園の方から「亀田さん、公園全体を使った音楽祭をプロデュースしませんか?」っていう話をいただいて。でも、いざやろうとしたら資金調達がうまくできなくて、結局中止になった。実は幻の第0回というのがあったんです。そのときからいきものがかりに出てもらいたいと思っていて。
で、去年(2019年)、ようやく日比谷音楽祭を開催できたんです。その時にも「もし良かったら出ませんか」ってお声がけはしていたんですけど、スケジュールが難しいという話になって。で、今年(2020年)の5月、まもなく開催される予定だった日比谷音楽祭にもみんなのことを誘ったら、ちょうどツアーの四国、高松あたりでライブをする日程だった。「今年もごめんなさい」ということになった。「そりゃしょうがないよな」と思って。こういうのも縁だし「また機会があれば」と思っていたら、まさかのこのコロナの進み具合で、開催ができなくなった。
まさかこういう流れになるとは想像もできなかった中で、日比谷音楽祭の景色を見ている、そして、いきものがかりのレコーディング制作の様子を一緒に作りながらずっと横で見てきてる僕としては、今、何かを形に残すことをしたいと思って。たとえば今のZoomを使ってのミーティングもそうなんだけど、あり得ないことが起きていて、「ニューノーマル」とかいろんな言葉が生まれてきていて、どこがどうスタンダードになっていくかわからない中で、やっぱり、僕たちは音楽を通して出会ってるし、聖恵ちゃんも山下くんも水野くんも音楽を奏でる人なんで、一緒に音楽を作れたらいいなと思い始めたの。たしか、YouTubeでライブをやろうみたいなことを言ってた頃があったよね。
水野無観客だったらOKみたいな時期がありましたね。
亀田そこでみんなに声をかけて、ツアーのリハーサル期間を使って無観客でやろうって。「こういう曲とかやれたらいいね」みたいな意見交換もして「来週あたりにやってみようか」ってなったら、緊急事態宣言も出て、人と人が近づいてはいけないっていう状況になった。まさにその頃に、いきものがかりと何かやりたいなと思ったんですよ。それで水野くんに「こういうことを考えてるんだけど、とにかくみんなで話し合おうよ」って軽く話をして。
ひらたく言うと、いきものがかりの3人、聖恵ちゃん、山下くん、水野くんと僕とで、今の時期でしかできない作品を作れるといいなって思ったんです。ただ、ここはいきものがかりとして見失っちゃいけないところだと思うんだけど、絶対、この時期限定で愛されるものではなくて、ずっと愛される作品を作る。それを、このやり方でみんなでアイディアを出し合うところから始めよう、と。それで今日に至るという感ですじ。
この状況だけに合う曲っていうのはポップスじゃないような気がする
水野、吉岡、山下は亀田の提案を受けて、それぞれの思いを語る。「一緒に曲を作る」ということはすぐに決まった。そこからポイントになったのは――。
水野メンバーとも話したんですけれど、まず第一に、この15年間、ずっと一緒に自分たちの曲を素晴らしいものにさせてもらって、亀田さんのおかげで何曲も作品を形にすることをできたのは間違いなくて。それに対して、今回、日比谷音楽祭からお声がけいただいて、ライブは本当に申し訳ないですけどタイミングが合わなくて参加することができなかったので、亀田さんに声をかけていただいたことに何かお応えしたいという気持ちがすごく強くあったんです。それは恩返しとかそういう意味じゃなくて、まさに今の状況の中で、それまであった繋がりを大切にするのってすごく大事なことのような気がしていて。バラバラになっちゃって、それぞれの環境も全然違うじゃないですか。前みたいに会うこともできなかったり、フラットに話せなかったりする状況が生まれたりしている。そういう中で、今まであった繋がりをちゃんと大事にして、その繋がりを先に続けていくっていうことはすごく大事なことな気がするんですよね。
だから、亀田さんが声かけていただいたことに対して、僕らができることがあるんだったらちゃんと応えたいのが一つ。あと、おっしゃる通り、今の時期だから感じる、コロナがあって、こういう状況が生まれたからこそ感じてることって沢山あって。それはすごく大事なエッセンスになると思います。だけどこの時、この状況だけに合う曲っていうのはポップスじゃないような気がする。僕ら音楽好きな人たちが悲しいとき、つらい状況になったときに思い出すのって、過去の曲で。こういう状況を予想してなくて作った曲が自分たちを元気づけてくれたりする。そういうところにポップスの強さがあるような気がするので。この状況を踏まえて、長く愛してもらったり、もしくはまたこういうことが起きてしまったときに誰かを元気づけられるぐらいの強度を持ったものを作るっていう姿勢を持ってないといけないと感じるんですよね。それが一つずつ形になっていけたら、より、みんなが思ってることに近づくのかなって思います。
亀田聖恵ちゃんはどう?
吉岡亀田さんと出会って、もう15年も経ってたんだなと思って。その中で声をかけていただけたことが嬉しいし、亀田さんと一緒に、曲ができてない段階からこういう風にお話しすることって今までなかなかなかったと思うんですよ。いつもだったら、例えばいきものがかりの水野良樹から生まれた曲、山下穂尊から生まれた曲を、私の仮歌を乗せて亀田さんにお渡ししてるので。最初のスタートの時点から、4人、もしくは他の人の力も借りれるかもしれない、そんなことがミックスした状態から曲が生まれるって、多分曲にとって初めてのことだと思うので。ワクワクしています。
亀田Zoomの画面に4人並んでこういう集まり方をしてるっていうことが、そもそも初めてだもんね。曲ができた、何かをやっていくっていう中で、もう一つ何かのクリエーションと合体しようというところで、もう1人、2人、入ってくるかもしれないし。聖恵ちゃんの言葉にはすごくヒントがあるよね。いろんな広がり方ができるような気がする。山下くんも、これまでは絶対先に曲ができてたもんね。
山下そうですね。歌詞の相談もたぶんしてないですし。僕らも、水野の曲、山下の曲って、独立して作ってきたんで。テーマにしても、震災のときもそうでしたけど、特にこの時期にはやっぱり影響を受けないわけがない。内容を相談しながら作るっていうのは、僕らとしては新しいですね。
水野今回の目的はもっとシンプルっていうか。ある作品に向けてそれに合わせようってことでもないし。この状況に僕らいきものがかりはどういうふうなスタンスで臨むのか、亀田さんがどういうスタンスで臨むのか。今の社会状況になって、作品そのものとフラットに向き合って作れる感じがします。それがなかなかできないっていうのが、もどかしかったじゃないですか。それが今の状況になって、シンプルになった。締め切りもこだわる必要がないし、もちろん日比谷音楽祭っていう出口はあるから、そこで届けるっていうことはすごく大事なんだけど、それこそ曲を作るのに1年かけてもいいと思うし。健全にアイディアを広げていって、その中で言葉を交わしていって、それぞれが考えてることを入れていくというのは、意外とできそうでできなかった。今だからできることなのかもしれないなってすごく思います。
コミュニケーションのやり方が本当に変わった
「今だからできること」とは何か。水野の言葉から、話題はそれぞれが感じている社会の変化へと広がっていく。
亀田今、コミュニケーションのやり方が本当に変わったなと思うの。Zoom飲み会の話も出てたけど、俺自身が変われたのね。音楽にしても、前は絶対にみんなと一緒に合奏するのが音楽だと思ってたし、目の前にお客さんがいてそこに届けるのがライブだと思っていたし、打ち合わせも、できるだけメールベースとかデータのやりとりじゃなくて対面を重視していた。でも、伝えたいことが自分の中でちゃんとあって、向こうに聞いてもらえるハートがあって、双方向でそのやりとりができる場合は、オンラインでも関係ないなって。本当にこの1ヶ月くらいでそう変わったんです。パソコンのパワーをあげたり、ウェブカメラをつけたりもしたんだけど、インターネットでコミュニケーションをとることが当たり前にできていた人たちと、並べるような気持ちになれている。それはすごく意味があることだなと思っていて。要するに、窓が開いたわけ。こういうときに、いろんなことを挑戦してきた仲間たちと一緒に音楽を作れるっていうのは、自分の間口も広がっているし、新しいこと、面白いアイディアに対してもオープンな気持ちで進められるような気もする。今の状況を最大限にポジティブに捉えていきたい気持ちはあるかな。
水野そういうことがエッセンスとして作品に入っていけばいいですよね。新しい感覚というか。それは音楽に携わっている以外の方々もみんな思ってることだと思うんですよ。普通だったらオフィスに勤めてらっしゃった方が、オンライン会議が当たり前になったり、生活様式が変わって、それで感じていることってみんなそれぞれにある。そこは共通点としてヒントになるだろうし。
吉岡新しいことに向き合ってるってことですよね。そこで亀田さんみたいに窓が開けてる人もいれば、新しいことを受け入れようと頑張ってたり、まだ開けない人もいるけど。
亀田そうだね。もしかしたら、いろんな人が不安だったり、馴染みのないことだったりするかもしれないけれど。
観察日記みたいだなって思いました
亀田そうそう、こうやって話している今も動画を撮ってるんです。今回はこうやって作品を作る過程も見せていこうというプロジェクトなんですよ。制作過程、みんなと話してる過程を全て動画で撮って、多くの人に見せていくことによって、しっかりと自分の体験のように味わってもらおうという。それが今回のプロジェクトの核になっていて。
吉岡とても新しいですね。
水野全部見せていきたいですよね。変な、つまらない嘘をつかなくていい。
亀田それはすごく大事なことで。違ったら変えればいいし、変わる瞬間も見せてしまってもいい。それくらいのことをみんなと一緒にやっていきたいと思っていて。そこにポップスというか、みんなに愛される音楽の原点があるような気もしてるんです。聖恵ちゃんも山下くんも水野くんも、自分の良かれと思ったアイディアはちゃんと意見を言い合うし、ダメだった場合は、最終的には良い方をみんなで相談して選んできたじゃないですか。そうやってものが作られる過程も見てもらいたいし、ものが作られるってこういうことだっていうことも伝えたいし。
水野すごく大事ですね。
吉岡なんか、観察日記みたいだなって思いました。
亀田ははは!
吉岡いつもって、作る人が種を選んで、みんなのところに届くお花をゼロから生み出すじゃないですか。でも、今回はみんなで種を選んで、どんな花が咲くかわかんないけど、こんな種がいいって想像して選んで。それを育てていく植物や人も記録されてくって感じがする。観察日記みたいな感じです。その記録もすごく珍しいから、いいなって思います。
亀田これって、面白いかもよ。もちろん、今までもみんなの思いをキャッチして作ってきたけれども、もうちょっと遠くまでいけるというか。そんな感じがしない?
水野ただ作るっていうよりも、何か意味がありそうな気がしますね。群像劇みたいのが見れたらいいですよね。
亀田ははは! 面白いね。
水野あとで振り返って「あの大変なときに当時のミュージシャンはこんなこと考えてたんだな」とか「こんなやりとりしてたんだな」って。反省するところもあるかもしれないけど、それも含めて、大事な気がしますね。
それぞれの孤独に寄り添うのが大事な視点
こうしてZoomで動画を撮影し、やり取りも全て記録しながら曲を作っていくというプロジェクトが始まった。今までにないやり方で、けれど、ただ新しいだけでなく、この後もずっと残っていく普遍的な歌を作るにはどうすればいいか――。4人の挑戦がスタートした。
亀田あとは、これは聖恵ちゃんや山下くんや水野くんと共通してるんだけど、人々の心、思いや記憶の中に残る曲に育てたいっていうのは本当にあって。心の中、脳内で再生できるような曲。いきものがかりが今までずっと挑戦してきて、数々の名曲を生み出してきてはいるけれど、それの極みを、こういういろんな群像劇を経ることによって、より多くの人の気持ちや言葉や空気を吸い取って。いろんなものを吸収した大衆音楽みたいなものになると、すごくいい気がする。「上を向いて歩こう」って、本当に大好きな曲なんですよ。当時は最新のヒット曲として脚光を浴びて、とてもモダンなサウンドで、普遍的な歌詞とシンプルなメロディの形で作られていて。それが50年も60年も経って、日本人にとって大事な局面で心の中で歌い継がれていく。そういう大層なことを狙うっていうことではなくて、気持ちとしては、そういう曲を作りたいという志でいきたいです。これがいきものがかりと僕と、関わる人たちのエンジンになる、キーワードになってくるような気がするんですよね。
水野口ずさめたらいいですよね。「上を向いて歩こう」も、聞かれたというより、ことあるごとに口ずさめた曲で。今回作る上で大事にしたいのは、とはいえ基本みんな孤独な状況になってるじゃないですか。オンラインでコミュニケーションがとれる人だけでもないから、世代的にオンラインのリテラシーを持ってなくて孤独な状況に置かれてる人もたくさんいるし、オンラインで話し合う仲間もいない人もたくさんいると思うので。理想論じゃないですけど、誰も孤独にさせないようにするというか。みんな全員一緒とかそういうことじゃなくて、それぞれの孤独に寄り添うのが大事な視点、忘れちゃいけない視点だと思うんです。「上を向いて歩こう」はみんなをまとめるような曲じゃなくて、寂しいときに一人で口ずさむことができる曲で、一番その人それぞれの孤独に寄り添っているような気がして。でもみんなで歌うこともできる強さがある。そういうことを意識しながら、それぞれが考えて、アイディアを出し合ってって作っていくことで、近づいていけるのかなって思います。
まずはキーワードを持ち寄って
亀田もしかしたら、言葉から先、キーワードから先に入っていったりしてもいいかもしれないですね。今回は。
水野さりげないことを書けたらいいですけどね。説教くさくなってもおかしいし。いつ聞いても大丈夫なような。
亀田説教くさくならないようにしたいって、いつもみんなと話してる中で出てくるよね。
吉岡リーダーは気にしてるよね。
水野よく言われるんだと思いますよ。変に品行方正だと思われてるんですよ。教科書に載ってそうとかよく言われて。そんなんじゃないんだけど。みんなに近い言葉にはしたいですよね。
吉岡難しい言葉じゃない方がいいよね。子供でも歌えるような。
水野いきなりタイトルから決めちゃいますか?
亀田そういう側面もあるかも。変わってしまうかもしれないけど、まずタイトルを決める。もしくは、何かを象徴するキーワードを持って次に集まりましょうか。キーワードにメロディがついてるのも歓迎だし、そういうのもアリかも。
水野どうなんだろう…なんか、でも、現状を肯定したいんですよね。
亀田現状が刻々と変化していくので、それも今回ドキュメントにしてる意味があると思っていて。「1ヶ月ぐらい前って、こういう気持ちだったよ」って振り返ると、それこそいきものがかりの観察日記みたいになっていいと思う。
水野2、3週間後に東京の緊急事態宣言も解除されるかもしれないですもんね。それで、一旦少しずつ「あ、戻っていくのかな」っていう気持ちになったら、もしかしたらまた状況がよくなくなって、その後同じような状況になって。そういう動きが出てきますよね。予想がつかない。
亀田予想がつかないからこそ、瞬間、瞬間に価値が生まれるような気はしていて。何かのタイムラインを決めて動いていくと、観察日記になるかもね。
水野理想を言うと、月に2回とか、2週間に1回とかのペースがいいような気がします。作品を作るにあたって、より実務的な話になったら、ポイントで話し合ったり、データを送りあうのもよくて。
亀田5分、10分だけそういう話をしてもいいと思う。2週間、いいと思います。
水野次はキーワードからスタートしましょうか。まずはキーワードを持ち寄って、楽曲のテーマというか、みんながどっちの方向に進むのかを決めて。なにかの合言葉みたいのを作って、そこから実際の作業に入っていくのがいいのかなって。
亀田聖恵ちゃんには聖恵ちゃんの、山下くんには山下くんの、水野くんには水野くんのペースがあると思っていて。「メロディが浮かんじゃった」とか「コードが浮かんじゃった」という場合は、これは遠慮なく挙手制で、それもオープンにしていくことにしない? そこに関してもみんなフラットに話しあう。
水野別に1曲だけじゃなくてもいいですからね。
吉岡状況が変わるから、それによって、起承転結じゃないけど、4部作になったり。
水野最終的にアルバムになったりして(笑)。一応、想像力の幅を広げておいて、とはいえ、やれることの限界はもちろんあるから、それぞれに全力で、散漫にならずにやれたらいいなと思います。
亀田じゃあ、次はキーワードを持ち寄って、スタートラインにまでいけたらいいなと思います。作り出したら速いからね。寂しくなって粘っちゃったりして。
水野わざとわざともうひとアレンジ作ってくださいとか(笑)。ワクワクできたらいいですね。
亀田すごく楽しみです。そんな感じで、およそ2週間後、集合しましょう。
全員お願いします!
文・構成/柴那典
メンバーが当時の事を振り返ります。
「今、ここ」でのつぶやきです。
最初のミーティングは昨年の5月。まだリモートであることに少し照れたり、戸惑ったりしているくらいの時期。「2、3週間後くらいに緊急事態宣言が解除されるかもしれない。あ、戻っていくのかなって気持ちになるかもしれない」なんて少し楽観的なことも口にしていたりする。https://t.co/wZVTl0vPZ5
— 水野良樹 (@mizunoyoshiki) May 14, 2021
コロナ禍に1年の歳月をかけて、いきものがかりの3人と僕とで曲作りをしました♪ 制作の途中も公開しますよ。😊+😊😊😊#今日からここから#いきものがかり#亀田誠治#日比谷音楽祭 https://t.co/ImrIwJrYDx
— 亀田誠治 Seiji Kameda (@seiji_kameda) May 13, 2021